コイラノス
Κοίρανος
Koiranos

概要

メラムプースの子孫。 伝承によって、孫だったり、ひ孫だったりする。

出自

メラムプースの孫

父はアバース。 母は不詳。 (パウサニアース, 「ギリシア案内記」, 1.43.5)
(メラムプースアバース→コイラノス)

メラムプースのひ孫

父はクレイトス。 母は不詳。 (「イーリアス」13.663への古注)
(メラムプースマンティオスクレイトス→コイラノス)

神話

ポリュイードスの父という、系譜を説明するための名前以上の情報がない。

引用

パスサニアース, 「ギリシア案内記」, 1.43.5

ディオニュシオンの入口のそばに、アステュクラテイアマントの合葬墓。 二人は、メランプスの子アバスの子コイラノスの子ポリュイドスの娘である。 メランプスは、アルカトゥスがわが子カリポリスを殺した際に、メガラまで来て王のけがれを払ってやった。 ポリュイドスはディオニュソスのために神域を造営して木彫神像を奉納した。 像は今日では顔以外を包込み、顔だけ出している。 この像のそばに立つサテュロスはプラクシテレス作で、パロス産大理石造り。 ディオニュソス像には「父祖伝来の神」という異名がある。 もう一体は「ぶどうの葉茂らすディオニュソス」で、ポリュイドスの子コイラノスの子エウケノルの奉納像だ、という。
(飯尾都人 訳)

ホメーロス, 「イーリアス」, 13.663-672

ἦν δέ τις Εὐχήνωρ Πολυΐδου μάντιος υἱὸς
ἀφνειός τ᾽ ἀγαθός τε Κορινθόθι οἰκία ναίων,
ὅς ῥ᾽ εὖ εἰδὼς κῆρ᾽ ὀλοὴν ἐπὶ νηὸς ἔβαινε:
πολλάκι γάρ οἱ ἔειπε γέρων ἀγαθὸς Πολύϊδος
‘νούσῳ ὑπ᾽ ἀργαλέῃ φθίσθαι οἷς ἐν μεγάροισιν,
ἢ μετ᾽ Ἀχαιῶν νηυσὶν ὑπὸ Τρώεσσι δαμῆναι:
τώ ῥ᾽ ἅμα τ᾽ ἀργαλέην θωὴν ἀλέεινεν Ἀχαιῶν
νοῦσόν τε στυγερήν, ἵνα μὴ πάθοι ἄλγεα θυμῷ.
τὸν βάλ᾽ ὑπὸ γναθμοῖο. καὶ οὔατος: ὦκα δὲ θυμὸς
ᾤχετ᾽ ἀπὸ μελέων, στυγερὸς δ᾽ ἄρα μιν σκότος εἷλεν.

さてここに、エウケーノールという者がいた。 占い師ポリュエイドスの息子で、金持ちでまた勇敢で、コリントスの町に住まいしていたが、呪わしい身の運命をよく知りながら、船へ乗って出かけて来た。 というのは、いくどとなく彼に向かって、心得ぶかいポリュエイドス老人が予言をして、おまえは苦しい病いにかかって、自分の家で身を果たすか、さもなくばアカイア軍の船のあいだで、トロイア人の手にかかって討たれよう、といった。 それで、アカイア軍に取り立てられる従軍免除の献金のつらさと、苦しい病いの両方を、心にいろんな苦しみを受けないために、避けようとはかったのであった。 いま、その人の顎と耳との下のところへ矢が当たったので、命はたちまちその五体から去ってゆき、いまわしい暗闇が彼をとらえた。
(呉 茂一 訳)

「イーリアス」13.663への古注

ἧν δέ τις Εὐχήνωρ Πολυίδου] Φερεκύδης οὕτω γενεαλογεῖ· "ἀπὸ Μελάμποδος Μαντίον, οὗ Κλειτόν, οὗ Κοίρανον, οὗ Πολύιδον·" εἷτα "Πολύιδος" φησί "γαμεῖ Εὐρυδάμειαν τὴν Φυλέως τοῦ Αὐγέου· τῷ δὲ γίνεται Εὐχήνωρ καὶ Κλειτός, οἵ Θήβας εἷλον σὺν τοῖς Ἐπιγόνιος· ἔπειτα ἐς Τροίην ἔρχονται σὺν Ἀγαμέμνονι· καὶ θνήσκει Εὐχήνωρ ὑπὸ Ἀλεξανδρου."
さてここに、ポリュイードスの子エウケーノールがいた : ペレキューデースがこの人の系譜について(次のように)述べている。
メラムプースの子マンティオス、その(マンティオスの)子であるクレイトス、その(クレイトスの)子コイラノス、その(コイラノスの)子ポリュイードス
次にポリュイードスについて、次のように述べている。
アウゲアースの子ピューレウスの娘エウリュダーメイアを娶り、エウケーノールクレイトスを生んだ。 彼ら(エウケーノールクレイトス)はテーバイに向かうエピゴノイに参加した。 その後、彼らはアガメムノーンを助けてトロイアへ従軍した。 そしてエウケーノールアレクサンドロス(パリス)に殺された。
(2017.6.18. 仮訳)

パライパトス, 『信じられないことどもについて』, 26(27)

XXVI. (XXVII)
[Περὶ Γλαύκου τοῦ Μίνως.]

Καὶ οὗτος ὁ μῦθος παγγέλοιος, ὡς δὴ τοῦ Γαύκου ἐν πίθῳ μέλιτος ἀποθανόντος ὁ Μίνως ἐν τῷ τύμβῳ κατώρυξε τὸν Κοιράνου Πολύιδον (ὃς ἧν ἐκ τοῦ Ἄργους), ὃς ἰδὼν δράκοντα ἑτέρῳ δράκοντι τεθνεῶτι πόαν ἐπιθέντα καὶ ἀναστήσαντα αὐτόν, καὶ αὐτὸς ταὐτὸ ποιήσας τῷ Γλαύκῳ, ἀνέστησεν αὐτόν. ὅπερ ἐστὶν ἀδύνατον, ἀποθανόντα ἄνδρα ἀναστῆσαι ἢ ὄφιν, ἀλλ᾽ οὐδὲ ἄλλο ζῷον. ἐγένετο δέ τι τοιόνδε. Γλαῦκος πιὼν μέλι ἐταράχθη τὴν κοιλίαν, χολῆς δὲ αὐτῷ πλείονος κινηθείσης καὶ λειποθυμήσαντος, ἀφίκοντο οἷ τε δὴ ἄλλοι ἰατροί, ἅτε χρήματα ληψόμενοι, καὶ δὴ καὶ Πολύιδος, ἤδη δὲ ἐλείποντος αὐτοῦ, εἰδώς τινα πόαν ὠφελοῦσαν, ἣν ἔμαθε παρά τινος ἰατροῦ, ᾧ ὄνομα ἧν Δράκων, καὶ ταύτῃ τῇ βοράνῃ χρησάμενος, ὑγιᾶ ἐποίσε τὸν Γλαῦκον. ἔλεγον οὖν οἱ ἄνθρωποι »Πολύιδος Γλαῦκον ὑπὸ μέλιτος ἀποθανόντα βοτάνῃ ἀνέστησεν, ἣν παρὰ Δράκοντος ἔμαθεν.« ἀφ᾽ οὗ οἱ μθθογράφοι τὸν μῦθον ἔπλασαν.

26(27)話 ミーノスの子グラウコスについて

さて、こんなばかげた物語もある。 グラウコスが蜂蜜の入った壺で死んだとき、ミーノースはわが子を埋葬した墓所にてコイラノスの子ポリュイードス(この人はアルゴスの子ともいう)に(息子を生き返らせるように強いた)---この人(ポリュイードス)は蛇が死んだときに別の蛇が草を上に置くと、その蛇が起き上がるのを見た人である---そこでこの人がグラウコスにこれをすると、グラウコスは起き上がった。 まったく、あり得ない話である。 死んだ人間が蛇によって生き返るなどということは。 しかも別の命でさえないのに。 一体、何が原因でこうなったのか。

グラウコスは蜂蜜を飲み、胸に詰まらせたのであった。

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