練習 9.2

課題文

δὶς παῖδες οἱ γέροντες.

語彙

文中の語 見出語形 品詞 変化形 主な意味
δίς δίς 数副詞 この語は変化しない 二度
παῖδες παῖς 男性名詞(女性同形) 男性/複数/主格 子供
οἱ 定冠詞 男性/複数/主格 γέροντεςにかかる
γέροντες γέρων 男性名詞 複数/主格 老人

脚注

特になし。

出典と翻訳

不明。

ただし、アリストパネースの喜劇『雲』1417行目付近には、次のようなやりとりがある。

Φειδιππίδης

ὡς ἡδὺ καινοῖς πράγμασιν καὶ δεξιοῖς ὁμιλεῖν,
1400καὶ τῶν καθεστώτων νόμων ὑπερφρονεῖν δύνασθαι.
ἐγὼ γὰρ ὅτε μὲν ἱππικῇ τὸν νοῦν μόνῃ προσεῖχον,
οὐδ᾽ ἂν τρί᾽ εἰπεῖν ῥήμαθ᾽ οἷός τ᾽ ἦν πρὶν ἐξαμαρτεῖν·
νυνὶ δ᾽ ἐπειδή μ᾽ οὑτοσὶ τούτων ἔπαυσεν αὐτός,
γνώμαις δὲ λεπταῖς καὶ λόγοις ξύνειμι καὶ μερίμναις,
1405οἶμαι διδάξειν ὡς δίκαιον τὸν πατέρα κολάζειν.

Στρεψιάδης

ἵππευε τοίνυν νὴ Δί᾽, ὡς ἔμοιγε κρεῖττόν ἐστιν
ἵππων τρέφειν τέθριππον ἢ τυπτόμενον ἐπιτριβῆναι.

Φειδιππίδης

ἐκεῖσε δ᾽ ὅθεν ἀπέσχισάς με τοῦ λόγου μέτειμι,
καὶ πρῶτ᾽ ἐρήσομαί σε τουτί: παῖδά μ᾽ ὄντ᾽ ἔτυπτες;

Στρεψιάδης

1410ἔγωγέ σ᾽ εὐνοῶν τε καὶ κηδόμενος.

Φειδιππίδης

εἰπὲ δή μοι,
οὐ κἀμέ σοι δίκαιόν ἐστιν εὐνοεῖν ὁμοίως
τύπτειν τ᾽, ἐπειδήπερ γε τοῦτ᾽ ἐστ᾽ εὐνοεῖν τὸ τύπτειν;
πῶς γὰρ τὸ μὲν σὸν σῶμα χρὴ πληγῶν ἀθῷον εἶναι,
τοὐμὸν δὲ μή; καὶ μὴν ἔφυν ἐλεύθερός γε κἀγώ.
1415κλάουσι παῖδες, πατέρα δ᾽ οὐ κλάειν δοκεῖς; ...
φήσεις νομίζεσθαι σὺ παιδὸς τοῦτο τοὔργον εἶναι·
ἐγὼ δέ γ᾽ ἀντείποιμ᾽ ἂν ὡς δὶς παῖδες οἱ γέροντες·
εἰκὸς δὲ μᾶλλον τοὺς γέροντας ἢ νέους τι κλάειν,
ὅσῳπερ ἐξαμαρτάνειν ἧττον δίκαιον αὐτούς.

Στρεψιάδης

1420ἀλλ᾽ οὐδαμοῦ νομίζεται τὸν πατέρα τοῦτο πάσχειν.

Φειδιππίδης

οὔκουν ἀνὴρ ὁ τὸν νόμον θεὶς τοῦτον ἦν τὸ πρῶτον
ὥσπερ σὺ κἀγώ, καὶ λέγων ἔπειθε τοὺς παλαιούς;
ἧττόν τι δῆτ᾽ ἔξεστι κἀμοὶ καινὸν αὖ τὸ λοιπὸν
θεῖναι νόμον τοῖς υἱέσιν, τοὺς πατέρας ἀντιτύπτειν;
1425ὅσας δὲ πληγὰς εἴχομεν πρὶν τὸν νόμον τεθῆναι,
ἀφίεμεν, καὶ δίδομεν αὐτοῖς προῖκα συγκεκόφθαι.
σκέψαι δὲ τοὺς ἀλεκτρυόνας καὶ τἄλλα τὰ βοτὰ ταυτί,
ὡς τοὺς πατέρας ἀμύνεται: καίτοι τί διαφέρουσιν
ἡμῶν ἐκεῖνοι, πλήν γ᾽ ὅτι ψηφίσματ᾽ οὐ γράφουσιν;

Στρεψιάδης

1430τί δῆτ᾽, ἐπειδὴ τοὺς ἀλεκτρυόνας ἅπαντα μιμεῖ,
οὐκ ἐσθίεις καὶ τὴν κόπρον κἀπὶ ξύλου καθεύδεις;

Φειδιππίδης

οὐ ταὐτὸν ὦ τᾶν ἐστίν, οὐδ᾽ ἂν Σωκράτει δοκοίη.

Στρεψιάδης

πρὸς ταῦτα μὴ τύπτ᾽: εἰ δὲ μή, σαυτόν ποτ᾽ αἰτιάσει.

Φειδιππίδης

καὶ πῶς;

Στρεψιάδης

ἐπεὶ σὲ μὲν δίκαιός εἰμ᾽ ἐγὼ κολάζειν,
1435σὺ δ᾽, ἢν γένηταί σοι, τὸν υἱόν.

Φειδιππίδης

ἢν δὲ μὴ γένηται,
μάτην ἐμοὶ κεκλαύσεται, σὺ δ᾽ ἐγχανὼν τεθνήξεις.

コロスの長
〔ペイディピデスに〕 さあ、お前の仕事は何だ。 新しい言葉を見つけては、ひっぱり上げる者よ。 何か説得のみちを探して、自分の主張が正しいと認められるようにするんだな。

ペイディピデス
気のきいた新しい風潮に親しんで、現存の法律や習慣を軽蔑することができるというのは、何と愉快なことだろう。 ぼくが乗馬にばかり気を取られていた時には、間違いなしに三言としゃべることはできなかったものだ。 しかし今では、この親父のおかげで、馬術関係のことはやめさせられて、思想や論理や思索などの精妙なものに取り組んでいるので、親父を折檻することの正当さくらいは教えてやれるだろうと思うんです。

ストレプシアデス
そんなことなら、どうか馬の方をやってくれ。 なぐられて身を損ねるよりは、四頭立ての馬を飼って、身代をなくす方が、おれはましだ。

ペイディピデス
まあしかし、さっきあんたがぼくの話の腰を折ったところへ、引き返すことにしよう。 そしてまず質問したいのは、ぼくが子供の時に、あんたがなぐったのか、どうかということだ。

ストレプシアデス
そりゃあそうしたけれど、それはおれがお前のことを心配し、お前のためを思ったからなのだ。1410

じゃあ、言っておくんなさい。 ぼくだって同じような正当さをもって、あんたのためを思い、そしてなぐるということができるんじゃぁないですか。 とにかく、そのなぐるってことが、ためを思うことだとすれば、ね。 だって、あんたの身体は打擲ちょうちゃくから免除されているけれども、ぼくの身体はそうでないなんてことが、どうしてあり得るんですかい。 ぼくだって、いいですかい、奴隷に生れちゃあいないんです。 それとも「子供は泣かせても、親父は泣かされないとでも思召してか」というところでさあ。 つまりあんたの主張では、それが子供の役だということは、一般に法として認められているというのでしょう。 しかしぼくは、その反対だと言いたい。 老人は二倍も子供なのだし、またかれらが誤りをおかすということは、子供の場合よりも許しがたい点が多いから。 それだけ泣かされるのは、若い者より老人の方が至当なのです。

ストレプシアデス
しかしどこへ行ったって、父親がそんな目にあうことを認めるような法律はないぞ。1420

ペイディピデス
それでも、そういう法律は、それを定めた人間が最初にいたわけじゃないですか。 あんたやぼくと同じような人間がね。 そして昔の人間を、弁論で説得するようにしたんじゃないですか。 そんならぼくだって、これから先、息子に有利な新しい法律を、あらためて制定して、親父をなぐり返せというようにすることだって、同様に許されていいんじゃないですか。 ただし、こういう新しい法律がきまる前に、ぼくたちがなぐられた分は、勘弁することにして、何も要求せずに、帳消しにしてやりますがね。 それにまた、よく見てごらんなさいよ、そこらにいる鶏だって、ほかの動物だって、父親に仕返しをしますぜ。 しかも、あいつらとぼくたちの違いは、動物は法案を出して、投票を求めたりしないというだけのことで、それ以外に何がありますかい。1429

ストレプシアデス
そんなに鶏の真似がいいんなら、いったいどうしてふんを食べたり、とまり木の上に眠ったりするところまで行かないのだ。

ペイディピデス
いや、それは同一律にはいかないんです。 そう簡単じゃあない。 ソクラテス先生のお考えも、そういうこっちゃあないでしょう。

ストレプシアデス
そらみろ。 だから、なぐるなんてことは止めにしろ。 そうでないと、いつか自分で悔むことになるぞ。

ペイディピデス
また、どうして。

ストレプシアデス
お前をなぐることは、当然おれに許されている代りに、お前も自分の息子ができたら、息子をなぐっていいことになるからだ。

ペイディピデス
しかし出来なかったら、ぼくは全くの泣き損で、あんたは大笑いに笑って、死んで行ってしまうでしょう。1436
(田中美知太郎 訳)

また、プラトーン, 法律, I. 646Aには次のようなやりとりがある。

Κλεινίας
ἥκιστα.

Ἀθηναῖος
ἆρ᾽ οὖν πονηρότατος, φαμέν, ὁ τοιοῦτος;

Κλεινίας
πολύ γε.

Ἀθηναῖος
οὐ μόνον ἄρ᾽, ὡς ἔοικεν, ὁ γέρων δὶς παῖς γίγνοιτ᾽ ἄν, ἀλλὰ καὶ ὁ μεθυσθείς.

Κλεινίας
ἄριστα εἶπες, ὦ ξένε.

Ἀθηναῖος
τούτου δὴ τοῦ ἐπιτηδεύματος ἔσθ᾽ ὅστις λόγος ἐπιχειρήσει πείθειν ἡμᾶς ὡς χρὴ γεύεσθαι καὶ μὴ φεύγειν παντὶ σθένει κατὰ τὸ δυνατόν;

メモ

παῖδεςγέροντεςが第三変化名詞であると読めることが、本課題文の主旨と思われる。 数副詞δίςはアリストパネースの喜劇のように「二倍」と読むのではなく、第8課の練習問題の単語欄(P. 34)にあるように「二度(目)」として読むのが適切。 おそらくプラトーンが使っているようなニュアンスでこういった表現があった上で、アリストパネースがそれをもじって使ったのだと思われる。

数副詞さえ間違えなければ、「γέρωνたち(というもの)はδίςπαῖςたち(である)」、くらいが文意と思われる。


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