リパラ島の名祖。 (ステパノス・ビュザンティノス, リパラの項 ; ディオドーロス・シクルス, 5.7.5)
キュアネーの父。 (ディオドーロス・シクルス, 5.7.6)
父親はアウソーン。 母親は不詳。 (ステパノス・ビュザンティノス, リパラの項 ; ディオドーロス・シクルス, 5.7.5)
イタリア出身。 兄弟たちの内乱にあって、リパラ島へ逃れ、この島に自分の名をつけた。
老境に至ってから、娘キュアネーの婿アイオロスによってイタリアのスレントゥムを領有。 同地で没した。
Λιπάρα, νῆσος μεγίστη τῶν ἑπτὰ τῶν Αἰόλου, ἣ Μελιγουνὶς ἐκαλεῖτο, πλησίον Σικελίας, ἀπὸ Λιπάρου τοῦ Αὔσονος υἱοῦ. λέγεται καὶ πληθυντικῶς τὸ ἐθνικὸν Λιπαραῖος.
リパラ : 7つあるアイオロス諸島のうち最大のもの。 メリグーニスとも呼ばれる。 シケリア島附近一帯に広がっている。 アウソーンの子リパロスにちなむ。 土地の産物の多くのものがリパライオスと呼ばれている。
(2017.6.13 仮訳)
φασὶ δὲ τὰς Αἰόλου νήσους τὸ μὲν παλαιὸν ἐρήμους γεγονέναι, μετὰ δὲ ταῦτα τὸν ὀνομαζόμενον Λίπαρον, Αὔσονος ὄντα τοῦ βασιλέως υἱόν, ὑπὸ τῶν ἀδελφῶν καταστασιασθῆναι, κυριεύσαντα δὲ νεῶν μακρῶν καὶ στρατιωτῶν ἐκ τῆς Ἰταλίας φυγεῖν εἰς τὴν ἀπὸ τούτου Λιπάραν ὀνομασθεῖσαν: ἐν ταύτῃ δὲ τὴν ἐπώνυμον αὑτοῦ πόλιν κτίσαι, καὶ τὰς ἄλλας νήσους τὰς προειρημένας γεωργῆσαι.
話によると、アイオロスの諸島は古くは住む人もなかった。 その後、「リパロス」がアウソン王の息子だったのを、兄弟たちが内乱を起してたおし、リパロスは、軍船団と兵たちを掌握するとイタリアから亡命して、自分の名をとった島へ着いた。 そして、島に自分と同じ名の市を建設し、この島よりほかの諸島にも耕地を開いた。
(飯尾都人 訳)
τούτου δὲ γεγηρακότος Αιὄλον τὸν Ἱππότου μετά τινων παραβαλόντα εἰς τὴν Λιπάραν τὴν τοῦ Λιπάρου θυγατέρα γῆμαι Κυάνην: καὶ τοὺς λαοὺς κοινῇ μετὰ τῶν ἐγχωρίων πολιτεύεσθαι ποιήσας ἐβασίλευσε τῆς νήσου. τῷ δὲ Λιπάρῳ τῆς Ἰταλίας ἐπιθυμοῦντι συγκατεσκεύασεν αὐτῷ τοὺς περὶ τὸ Σύρρεντον τόπους, ὅπου βασιλεύσας καὶ μεγάλης ἀποδοχῆς τυχὼν ἐτελεύτησε: ταφεὶς δὲ μεγαλοπρεπῶς τιμῶν ἔτυχεν ἡρωικῶν παρὰ τοῖς ἐγχωρίοις.
この指導者が年老いてしまうと、ヒッポトスの子アイオロスが、何人かの仲間といっしょにリパラ島へ渡り、リパロスの娘キュアネを妻にした。 そして、配下の人びとには地元民と共同で市を運営して行くようにさせ、自分は島の王となった。 また、リパロスがイタリア本土を領有したがっていたので、これを助けてスレントゥム一帯の地を確保させ、後者はこの地の王となり、非常な歓迎を受けた後ここで生涯を終えた。 そして、盛大な式典による埋葬の後、地元民の間で英雄として祀ってもらった。
(飯尾都人 訳)