§196.

§197. ⇒

英語原文

The future indicative is often used with κέ or ἄν by the early poets, especially Homer. The addition of ἄν seems to make the future more contingent than that tense naturally is, sometimes giving it a force approaching that of the optative with ἄν. Eg.

Ἀλλ᾿ ἴθ᾿, ἐγὼ δὲ κέ τοι Χαρίτων μίαν ὁπλοτεράων δώσω, ὀπυιέμεναι καὶ σὴν κεκλῆσθαι ἄκοιτιν, I will give you one of the younger Graces, etc. Il. xiv. 267. Καί κέ τις ὧδ᾿ ἐρέει Τρώων ὑπερηνορεόντων, and some one will (or may) thus speak, Il. iv. 176. Ὁ δέ κεν κεχολώσεται ὅν κεν ἵκωμαι, and he may be angry to whom I come. Il. i. 139. Εἰ δ᾿ ἄγε, τοὺς ἂν ἐγὼν ἐπιόψομαι· οἱ δὲ πιθέσθων., Nay, rather, whomsever I shall chosse, let them consent. Il. ix. 167. Παρ᾿ ἔμοι γε καὶ ἄλλοι, οἵ κέ με τιμήσουσι, others, who will honour me. Il. i. 174. Εἰ δ᾿ Ὀδυσεὺς ἔλθοι καὶ ἵκοιτ᾿ ἐς πατρίδα γαῖαν, αἶψά κε σὺν ᾧ παιδὶ βίας ἀποτίσεται ἀνδρῶν, But if Odysseus should come and return to his native land, straightway would he with his son take vengeance on these men for their violent deeds, Od. xvii. 539. Here ἀποτίσεταί κε, which may be aorist subjunctive (201, 1), is used nearly in the sense of the optative, corresponding to the optatives in the protasis.

※ 『イーリアス』9.167および『オデュッセイア』17.539には手元の原著に英訳がついていませんでしたので、Loebの英訳をつけています。

Κέ is much more common with the future than ἄν.

日本語解釈

初期の詩人たち、とりわけホメーロスにおいて、直説法で未来を表現する時称(つまり未来および未来完了)はしばしば κέἄν と共に使われている。 このように ἄν を付加することは、未来という時称が本来的に持つ不確実なニュアンスをより強調することになり、しばしば希求法の動詞と ἄν が組み合わされる強力な動機となる。 以下に例を挙げると

Ἀλλ᾿ ἴθ᾿, ἐγὼ δὲ κέ τοι Χαρίτων μίαν ὁπλοτεράων
δώσω, ὀπυιέμεναι καὶ σὴν κεκλῆσθαι ἄκοιτιν,

(そうしたら私が、若くてきれいな典雅女神たちの一人を、あなたの奥さんとも呼ばれるように世話してあげるわ)
『イーリアス』, 14.267-268, 呉 茂一 訳

δώσωδίδωμι の一人称/単数/未来/直説法/能動態。

Καί κέ τις ὧδ᾿ ἐρέει Τρώων ὑπερηνορεόντων
(思いあがって、好い気になったトロイア人の誰彼は、誉も高いメネラーオスの盛りあげた墓の塚に駆けあがって、こうした口をききましょう)
『イーリアス』, 4.176, 呉 茂一 訳

※ この文章は次の177行にそのまま続いているので、

καί κέ τις ὧδ᾿ ἐρέει Τρώων ὑπερηνορεόντων
τύμβῳ ἐπιθρώσκων Μενελάου κυδαλίμοιο·

の訳文として引用しています。 英訳例では Τρώων ὑπερηνορεόντων の部分がオミットされているのが気になり、それを反映するように訳文を考えると次の177行の内容が必要になる、と思えたからです。

ἐρέειἐρῶ の三人称/単数/未来/直説法/能動態。 ホメーロスではこの未来形である ἐρέω の変化形だけが使われている由。

Ὁ δέ κεν κεχολώσεται ὅν κεν ἵκωμαι.
(私にやって来られた男は、さぞ腹を立てることだろうがな)
『イーリアス』, 1.139, 呉 茂一 訳

※ ここでは ἄνκέ の代わりに κεν が使われている。
κεχολώσεταιχολόω の三人称/単数/未来完了/直説法/中動態または受動態。
ἵκωμαιἱκνέομαι の一人称/単数/第二アオリスト/接続法/中動態。

Εἰ δ᾿ ἄγε, τοὺς ἂν ἐγὼν ἐπιόψομαι· οἱ δὲ πιθέσθων.
(では私がいま選ぶから、そうしたらその人たちを承知してくれ)
『イーリアス』, 9.167, 呉 茂一 訳

ἐπιόψομαιἐφοράω の一人称/単数/未来/直説法/中動態。 実際には一人称/単数/アオリスト/接続法/中動態でも同形であり、接続法でのアオリストには過去的なニュアンスが(たいていの場合)ないことから、このように解してもよいとは思うが原著の主張に従って上記のようにした。

Παρ᾿ ἔμοι γε καὶ ἄλλοι, οἵ κέ με τιμήσουσι,
(私にはまだ他の人たちがついている、大切にもしてくれようというかたがたがな)
『イーリアス』, 1.174-145, 呉 茂一 訳

τιμήσουσιτῑμάωの三人称/複数/未来/直説法/能動態。 他に三人称/複数/アオリスト/接続法/能動態や未来分詞/能動態/中性/複数/与格でも同形。

Εἰ δ᾿ Ὀδυσεὺς ἔλθοι καὶ ἵκοιτ᾿ ἐς πατρίδα γαῖαν,
αἶψά κε σὺν ᾧ παιδὶ βίας ἀποτίσεται ἀνδρῶν.

(オデュッセウスが帰って来て、故郷に着いたなら、自分の息子と一緒にたちまちあの人たちの非暴の仕返しをすることでしょう)
『オデュッセイア』, 17.539-540, 高津春繁 訳

ἀποτίσεταιἀποτίνω の三人称/単数/未来/直説法/中動態。 ただし三人称/単数/アオリスト/接続法/中動態も同形。

ἀποτίσεταί κε は接続法アオリスト(韻文では同形の場合がある)かもしれない(201, 1)が、ここでは希求法に近いニュアンスで使われており、前文における希求法と似たような使われ方をしている。

(ホメーロスに代表される初期の韻文においては)時称として未来を意図した動詞と一緒に使われるのは κέ の方が ἄν の場合よりも多い。

メモ

本文では"sometimes giving it a force approaching that of the optative with ἄν."とあるが、上記のホメーロスでの例文では希求法の動詞と組み合わされた例がない。 もっとも、この節の要旨は「直説法未来」と ἄν または κέ との組み合わせのみを論じることである。

236 の例文にもみられるように、ホメーロスにおいても κέ または ἄν または κεν と希求法の組み合わせは存在する。


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