練習 6.3
課題文
νομίζουσιν οἰ ἄνθρωποι καλὸν εἶναι ἀγαθοὺς φίλους ἔχειν.
語彙
文中の語 | 見出語形 | 品詞 | 変化形 | 主な意味 |
νομίζουσιν | νομίζω | 動詞 | 三人称/複数/現在/直説法/能動態 | 考える |
οἱ | ὁ | 定冠詞 | 男性/複数/主格 | ἄνθρωποιにかかる |
ἄνθρωποι | ἄνθρωπος | 男性名詞 | 複数/主格 | 人間 |
καλόν | καλός | 形容詞 | 中性/単数/主格 | 美しい, よい |
εἶναι | εἰμί | 動詞 | 不定詞/現在/能動態 | ~である |
ἀγαθούς | ἀγαξός | 形容詞 | 男性/複数/対格 | 善い, 勇敢な |
φίλους | φίλος | 男性名詞 | 複数/対格 | 友人 |
ἔχειν | ἔχω | 動詞 | 不定詞/現在/能動態 | 持つ |
脚注
特になし。
出典と翻訳
不明。
メモ
基本構造は、ἄνθρωποςたちはνομίζωしている、というもの。 不定詞が二つあるので、その意味を考えていく。
一つ目はεἰμίの不定詞であるεἶναι。 不定詞を名詞的にとらえるときには、中性とする(練習5.8 脚注参照)ので形容詞は中性のκαλόνになっている。 ここでの中性は恐らくは主格でεῖναιであることと同格と思われ、καλόςなことである、くらいの意味になると思われる。
もう一つはἔχωの不定詞であるἔχειν。 複数/対格であるἀγαθούς φίλουςをどう解釈するか、ではあるが、ἔχεινの直接目的語と考えるのがよさそう。 なぜ悩むかというと、対格は不定詞の主語となるときがある(P.23 §41.参照)から。 それでも今は、ἀγαθός φίλοςをἔχωすること、と考えるのがよさそう。
これらを考え併せると、二つの不定詞を使った内容は、ἀγαθόςなφίλοςたちをἔχωすることはκαλόςなことである、くらいの意味であると思われ、ἄνθρωποςたちがνομίζωしている内容と解するのがよさそう。
まとめると、ἄνθρωποςたちはἀγαθόςなφίλοςたちをἔχωしていることはκαλόςなことであるとνομίζωしている、が文意と思われる。 不定詞の順番を逆にして、ἄνθρωποςたちはκαλόςであることとはἀγαθόςなφίλοςたちをἔχωしていることであるとνομίζωしている、でもいいかもしれない。