練習 6.8
課題文
τὸν δοῦλον ἐκέλευσε φυλάξαι τὰ παιδία ὁ δεσπότης.
語彙
文中の語 | 見出語形 | 品詞 | 変化形 | 主な意味 |
τόν | ὁ | 定冠詞 | 男性/単数/対格 | にかかる |
δοῦλον | δοῦλος | 男性名詞 | 単数/対格 | 奴隷 |
ἐκέλευσε | κελεύω | 動詞 | 三人称/単数/アオリスト/直説法/能動態 | 命じる |
φυλάξαι | φθλάττω | 動詞 | 不定詞/アオリスト/能動態 | 守る, 見張る |
τά | ὁ | 定冠詞 | 中性/複数/対格 | παιδίαにかかる |
παιδία | παιδίον | 中性名詞 | 複数/対格 | 小児, 子供 |
ὁ | ὁ | 定冠詞 | 男性/単数/主格 | δεσπότηςにかかる |
δεσπότης | δεσπότης | 男性名詞 | 単数/主格 | 主人 |
脚注
φυλάξαι(アオリスト不定詞)は1回的行為を表す。 もしφυλάττειν(現在不定詞)なら継続的行為。 一般に、現在, アオリスト, 完了の不定詞は、間接話法の場合を除き、時ではなく、動作態(aspect)を表す。
一回的(semelfactive)
(動詞, 動詞の形態などに関して)1回だけ起こる時称を指すときに用いられる。
He was always falling over
(「彼はいつも転んでいた」)
のwas fallingと比較して、過去時制は
He fell over yesterday
(「彼は昨日転んだ」)
において一回的である。
Peter Hugoe Matthews, 中島平三・瀬田幸人 監訳, オックスフォード言語学辞典, 朝倉書店, 2009(原著1997)
相(aspect)
もとはスラヴ諸語の専門家の用語であったが、現在では、出来事などについてそれらが単に現在, 過去, 未来に位置づけられるのとは対照的に、特定の時間の幅に関係して、それらの状態を区別する動詞的範疇に対して用いられる一般的な用語である。 例えば I am reading your paper (私はあなたの論文を読んでいます) は、発話の瞬間を含む一定の時間の幅の中で読むという行為が継続中であるということを意味している。 すなわち、am reading は、時制は現在であるが、相は進行相[「進行形」を参照] (あるいは継続相a)ということになる。 I have read your paper (私はあなたの論文を読み終えたところです) は、発話の時点で読む行為が終わってしまったことを意味する。 すなわち、この文は、時制は現在であるが、相は完了[完了相]ということになる。
相表現の範疇はとても多様であり、しかも時制と相の両方とも時間との関係で規定されるため、それらの間の区別は、それが存在する場合においてであるが、普通は形式的基準によってなされることになるであろう。
さらに、屈折語尾や助動詞によって表される相を、動詞の動作様態、すなわち内在的語彙特性と区別するのも困難である。
それゆえ、相という用語は、一般にこれらのこと、および事実上時制にも法にも明らかに属さない特徴を含むように拡大されている。
Peter Hugoe Matthews, 中島平三・瀬田幸人 監訳, オックスフォード言語学辞典, 朝倉書店, 2009(原著1997)
※ 水谷のテキストでは、voiceの訳語として「相」が使われている。 しかし「相」はaspectの訳語なので、本サイトでは水谷のテキストからの引用であってもvoiceの訳語は「態」に置き換えて使う。
動作様態(Aktionsart)
動詞が表す過程や状態などのタイプによって分類されるような動詞の語彙クラス。 例えば、歩くこと (walking) は行為であるため、walk は「行為動詞 (activity verb)」とされる。 何かについて知っていること (knowing something) は心的状態であるため、know は語彙的には状態的とされる。
このドイツ語の用語の意味は「動作の種類」であるが、英語の相特性
(aspectual character),
「相的値
(aspectual value)」,
「意味的値
(semantic value)」などが代わりに用いられることもある。
動作様態は相と結びついているが、学者の中には動作様態と相は別個のものではないと主張する者もいるであろう。
Peter Hugoe Matthews, 中島平三・瀬田幸人 監訳, オックスフォード言語学辞典, 朝倉書店, 2009(原著1997)
出典と翻訳
不明。
メモ
注記の内容を別にすれば、έκέλευσεの形を見極めることが、この問題の主題。 ε-が加音、-κελευ-が動詞の語幹、-σ-が時称接尾辞、そして-εの語幹形成母音で終わっている。 つまり、加音があることと、人称語尾がないことから、能動態の副時称/三人称/単数(P. 22, §36. 参照)であることがわかる。 時称接尾辞σがあるので、アオリストであることもわかる。
直説法/アオリストなので、「格言のアオリスト(gnomic aorist)」として読みたくなるかもしれないが、出典がわからないこともあって、そう読むのは過剰な読み込み方に思える。 もちろん、もっと他に文があって文脈が繋がるのであれば、そう読むのが適切になることは有り得る。 ここでは、単純に過去に起きた事象を述べているもの、と解することにする。
δεσπότηςはκελεύωした、が基本的な構造。 κελεύωした相手がτὸν δοῦλον、κελεύωの内容がφυλάττωすること(不定詞)、φυλάττωする対象がτὰ παιδία、と読む。 まとめると、δεσπότηςはδοῦλοςにπαιδίονたちをφυλάττωするようにκελεύωした、が文意。
単語欄を見ると、φυλάττωの意味として「守る」と「見張る」がある。 どちらを選ぶのかで、ずいぶんと文のニュアンスが違ってくるものとして解釈しうる。 それでも、出典が明らかではないために文脈がわからないので、どちらで読んでもいいのだろう。