練習 3.10
課題文
ψυκῆς γὰρ ὄργανον τὸ σῶμα, θεοῦ δ᾿ ἡ ψυχή.
語彙
文中の語 | 見出語形 | 品詞 | 変化形 | 主な意味 |
ψυχῆς | ψυχή | 女性名詞 | 単数/属格 | 魂 |
γάρ | γάρ | 小辞 | この語は変化しない | というのも |
ὄργανον | ὄργανον | 中性名詞 | 単数/主格 | 器官, 道具 |
τό | ὁ | 定冠詞 | 中性/単数/主格 | σῶμαにかかる |
σῶμα | σῶμα | 中性名詞 | 単数/主格 | 肉体, 身体 |
θεοῦ | θεός | 男性名詞 | 単数/属格 | 神 |
δ᾿ | δέ | 小辞 | この語は変化しない | 脚注参照 |
ἡ | ὁ | 定冠詞 | 女性/単数/主格 | ψυχήにかかる |
ψυχή | ψυχή | 女性名詞 | 単数/主格 | 魂 |
脚注
σῶμα, 「肉体, 身体」(第三変化中性名詞)。 δ᾿ = δέ(§13.1)。 このδέやγάρ、μένなどは文頭に立つことができず、普通、文の第2番目の位置をとる(postpositive)。
出典と翻訳
テキストではἈνάχαρσιςとされている。 これは恐らく、プルータルコス, 『七賢人の饗宴』, XXI(163 d-f)でアナカルシスが発言している内容 (練習問題の引用箇所は163e)
μετὰ δὲ τοῦτον ὁ Ἀνάχαρσις εἶπεν ὅτι τοῦ Θαλέω καλῶς ὑπολαμβάνοντος ἐν πᾶσιν εἶναι τοῖςd
κυριωτάτοις μέρεσι τοῦ κόσμου καὶ μεγίστοις ψυχήν, οὐκ ἄξιόν ἐστι θαυμάζειν εἰ τὰ κάλλιστα περαίνεται θεοῦ γνώμῃ. ‘ ψυχῆς γὰρ ὄργανον τὸ σῶμα, θεοῦ δ᾽ ἡ ψυχή· καὶ καθάπερ σῶμα πολλὰς μὲν ἐξ αὑτοῦ κινήσεις ἔχει, τὰς δὲ πλείστας καὶ καλλίστας ὑπὸ ψυχῆς, οὕτως αὖ πάλιν ἡ ψυχὴ τὰ μὲν ὑφ᾽ ἑαυτῆς κινουμένη πράττει, τὰ δὲ τῷ θεῷ παρέχει χρωμένῳ κατευθύνειν καὶ τρέπειν αὐτὴν ᾗ βούλοιτο , πάντων ὀργάνων εὐτρεπέστατον οὖσα. δεινὸν γάρ ’ εἶπεν ‘εἰ πῦρ μὲν ὄργανόν ἐστι θεοῦ καὶ πνεῦμα καὶ ὕδωρ ’e
‘ καὶ νέφη καὶ ὄμβροι, δι᾽ ὧν πολλὰ μὲν σῴζει τε καὶ τρέφει, πολλὰ δ᾽ ἀπόλλυσι καὶ ἀναιρεῖ, ζῴοις δὲ χρῆται πρὸς; οὐδὲν ἁπλῶς οὐδέπω τῶν ὑπ᾽ αὐτοῦ γιγνομένων. ἀλλὰ μᾶλλον εἰκὸς ἐξηρτημένα τῆς τοῦ θεοῦ δυνάμεως ὑπουργεῖν, καὶ συμπαθεῖν ταῖς τοῦ θεοῦ κινήσεσιν ἢ Σκύθαις τόξα λύραι δ᾽ Ἕλλησι καὶ αὐλοὶ συμπαθοῦσιν.’f
彼のあとに続けてアナカルシスが、宇宙の最も支配的で重要な部分のすべてに魂が存在するとしたタレスの想定は実に見事であって、最もすばらしいことが神の意志によって成就されるのは不思議に思うべきではないと述べた。
「というのは、身体は魂の道具であり、魂は神の道具だからである。
そして、ちょうど身体がそれ自体の多くの運動をもつけれど、魂によって最も多くのすぐれた運動をもつことになるように、魂の方もまた自分自身による運動を行うけれど、しかしその他に関しては、神が望む方向に魂を導き方向づけるよう、魂はあらゆる道具のなかでも最も向きを変えやすく、神に用いられるべく自分を神に委ねているからである。
それゆえ」
と彼は言った、
「もしも火や水や雲や雨が神の道具であり、神はそれらの道具によって多くのことを保護したり養ったり、あるいは多くのことを破壊したり滅ぼしたりするのであれば、神によって生じることがらの何に対しても、神が生きているものをけっして用いることがないとみなすのは恐るべき誤りである。
いや、生きものが神の力に依存し、神に仕え、神の運動に感応することの方が、弓がスキタイ人に、リュラや笛がギリシア人に感応するよりもいっそうありうることであろう」
(瀬口昌久 訳)
を意識してのことと思われる。 また、プルータルコス, 『ピュティアは今日では詩のかたちで神託を降ろさないことについて』, XXI(404b)にも
‘ἀλλ᾽ αὖθις ἄξιον μέν ἐστι διὰ μακροτέρων εἰπεῖν τι καὶ πυθέσθαι περὶ τούτων, τὰ δὲ νῦν ἐν βραχεῖ μαθόντες διαμνημονεύωμεν ὡς σῶμα μὲν ὀργάνοις χρῆται πολλοῖς αὐτῷ δὲ σώματι ψυχὴ καὶ μέρεσι τοῖς σώματος ψυχὴ δ᾽ ὄργανον θεοῦ γέγονεν ’
これらの問題についてはあらためてもっと時間をかけて論議の対象とし、学びを深めることが望ましい。 けれども、さしあたっては手短にこれまでに学び得たことをはっきりと思い出しておくことにしよう。
さて、身体は多くの道具を用いるが、まさにその身体と身体の諸部分を用いるのは魂である。
ところが、魂が生れたのは神の道具としてなのであった。
(丸橋 裕 訳)
といっている箇所がある。
メモ
カンマの前と後ろは同じ構造であり、省略可能なものは省略されている。 まず、前半部。 定冠詞のついたσῶμαが主語(練習3.2の注参照)となるので、σῶμαはψυχήのὄργανονである、と読む。
後半部では小辞δέによって前半部との対比を感じながら(無理にδέを訳出する必要はないと思う)、ψυχήに定冠詞がついているので主語として読み、ὄργανονが重複による冗長さを嫌って省略されていると考えて、ψυχήはθεόςのὄργανονである、と読めばいい。
したがって、「なぜならば(γάρ)、σῶμαはψυχήのὄργανονであり、(その)ψυχήは(といえば)θεόςのὄργανονだからである」、が文意。
理由を述べる小辞γάρが前の文のどのような内容を受けているのか、は出典で引用した記述を参照のこと。 課題文だけでは訳出に必要な情報が少ないときがあるので、面倒くさくても、前後の文脈がありそうなものは調べておくと理解が深まる。
例えば、練習28.2で使われる未完了の動詞ἐποίουνは、この課題文単体だけで考えれば、a) 一人称/単数とb) 三人称/複数のどちらでも読みうるが、『アナバシス』でこの文が出て来る前の内容(敵の妨害工作で谷間の隘路が安全に通れないため、小隊長たちは他に迂回路がないかと探していたこと)を読んでいれば、三人称/複数の一択であろうことがわかる。