練習 3.2
課題文
ὄνειρος ὁ βίος.
語彙
文中の語 | 見出語形 | 品詞 | 変化形 | 主な意味 |
ὄνειρος | ὄνειρος | 男性名詞 | 単数/主格 | 夢 |
ὁ | ὁ | 定冠詞 | 男性/単数/主格 | βίοςにかかる |
βίος | βίος | 男性名詞 | 単数/主格 | 人生, 生活 |
脚注
この種のcopulative sentenseでは、定冠詞のついた名詞が主語、そうでない方が述語。
連結詞(copula)
be動詞や他の言語でのbe動詞に相当するもので、ある要素と他の要素の関係を表したり、それらをつなぎ合わせたりするものと見なされる。
例えば、
I am cold
や
I am a doctor
のような文での am は、主語 (I) と叙述要素 (cold, a doctor) をつなぎ合わせる連結詞である。
とりわけ、be の存在用法[「存在(の)」を参照] (例えば、
There is a solution (‘A solution exists’)) とは区別される。
Peter Hugoe Matthews, 中島平三・瀬田幸人 監訳, オックスフォード言語学辞典, 朝倉書店, 2009(原著1997)
copula は
出典と翻訳
不明。
メモ
脚注にあるように定冠詞の付いている方が主語なので、「βίοςはὄνειροςである」、と読めばいい。 ただ、ὄνειροςが文頭に来ているということは、話者としての主眼は「ὄνειρος(のようなもの)なのだ、βίοςというのもは」、と主張したいのかもしれない。 どちらもA=Bという構図の文なのだが、受ける印象は微妙に違う。
このあたりは出典がわからないので、文脈や他の主張の傾向がわからないため、どちらの解釈が適切なのかは何ともいえない。
定冠詞ὁがὄνειροςとβίοςのどちらにつくかというと、叙事詩のような韻文ならともかく、出典のわからない散文では定冠詞よりも後ろの語につくので、出典のわからない、恐らくは散文であろう今回の課題文ではὁ βίοςを主語として読むべきと思われる。
定冠詞が倒置されていると考えてὁ ὅνειροςを主語として読むと、夢こそが人生である、のようにも読める。 主張としては、それはそれで素敵だと思うが、出題者の意図としては、恐らく違うと思われる。